『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』シリーズ随想2
2008年5月10日 読書このシリーズ,1巻だけで止めればよかった
なんていう人もいるようだけれど…
新作が出るたびに嬉しく読んでいたから
そして5巻まで読み終えて堪能したから
これはこれでいいのだ,と思う.
万人向け誰にでも薦められる種類じゃないけど
合う人にはとても素敵な物語だと思う.
◇◇◇2008年5月11日追記◇◇◇
シリーズが,5巻で完結したと直感して
この文章を書いていた.その辺のところを
少し考えてみたけど,にもうとも消えて
実家も使ってしまい伏線的にあったものは
使い尽くしたという気がしたからだけど…
それに,まーちゃんの「鍵(今回は絵)」も
そうそう濫造はできないと思うから.
しかし,とても素敵な湯女とみーくん動かして
さらに続ける可能性は皆無じゃないかな.
◇◇◇追記終わり◇◇◇
雨の夜の黒部源流でヘッドライト消したときの
瞼を開いても閉じても変わらない闇観るときとか
scintillatiionが小さくてseeingが良いときの
吸い込まれそうな深い星空を観ているときとか
そんなとき感じるのと似た「やすらぎ」がある.
死んだら全て無くなってしまうのが怖いのでなく
死んだら全て無くなると思うからやすらげる….
別に死を求めるわけじゃないし虚無でもない.
みーくんとか湯女に,この匂いを感じる.
何故か,西尾維新の戯言シリーズでは感じない.
☆彡
5巻の感想のとき敢えて書かなかったけれども
あとがき2行目に,『どうでもよくない話』.
そこを変えるってことあるんですかいな.
たぶん,影響範囲は1巻目だけだろうと思うので
意識しながら『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
―幸せの背景は不幸』を再読してみた.
これは変えて正解じゃないかと思う.
魅力が薄れる気がする.いや,ツラさが増す,か?
初読直後に『語り方の一部にひっかかり』と
書いたのは,基本的には杜撰な読み方のせいで
217頁の最後の行を誤解してしまったので
218〜234頁の語り手変化を見落とししまって
だいぶ先で気づいて吃驚したからだった.
知っていて読めば引っかからない罠である.
言い訳すると,54〜55頁,114〜115頁,168頁と
長さが随分違うし,何か雰囲気も違う気がする.
この罠は『どうでもよくない話』のための改稿で
生じているんじゃないかな,という気がした.
◇各巻を読んだ直後の酔っ払った戯言
http://diarynote.jp/d/14742/20070617.html
http://diarynote.jp/d/14742/20070912.html
http://diarynote.jp/d/14742/20071214.html
http://diarynote.jp/d/14742/20080410.html
http://diarynote.jp/d/14742/20080509.html
◇嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』シリーズ随想
%4巻のレイニー切りに悪酔いしてならべた普陀落
http://diarynote.jp/d/14742/20080411.html
◇メモ (1巻再読時)
45頁『死路』ヨミは?
無門慧開 『無門関』 五・香嚴上樹に
『活卻從前死路頭、死卻從前活路頭。』 というところがあり
活路を カツロと読むことから考えればシロとなるのだろうか?
新居祐政 『死路を往く』 の国会図書館書誌情報も タイトルよみ シロ オ ユク
(2009年6月6日追記)
97頁『マユのそういった要素に、少なからず
魅力を覚えているからだ。彼女の精神は
喜怒哀楽の強弱高低が偏りすぎているけど
だからこそ常人には組み上げられない感性を
内包することが可能だ。』
98頁『マユの行動』→263頁末行
107頁・183頁『治療って〜』
194頁『警戒した』…後巻でのやられっぷりと矛盾?
なんていう人もいるようだけれど…
新作が出るたびに嬉しく読んでいたから
そして5巻まで読み終えて堪能したから
これはこれでいいのだ,と思う.
万人向け誰にでも薦められる種類じゃないけど
合う人にはとても素敵な物語だと思う.
◇◇◇2008年5月11日追記◇◇◇
シリーズが,5巻で完結したと直感して
この文章を書いていた.その辺のところを
少し考えてみたけど,にもうとも消えて
実家も使ってしまい伏線的にあったものは
使い尽くしたという気がしたからだけど…
それに,まーちゃんの「鍵(今回は絵)」も
そうそう濫造はできないと思うから.
しかし,とても素敵な湯女とみーくん動かして
さらに続ける可能性は皆無じゃないかな.
◇◇◇追記終わり◇◇◇
雨の夜の黒部源流でヘッドライト消したときの
瞼を開いても閉じても変わらない闇観るときとか
scintillatiionが小さくてseeingが良いときの
吸い込まれそうな深い星空を観ているときとか
そんなとき感じるのと似た「やすらぎ」がある.
死んだら全て無くなってしまうのが怖いのでなく
死んだら全て無くなると思うからやすらげる….
別に死を求めるわけじゃないし虚無でもない.
みーくんとか湯女に,この匂いを感じる.
何故か,西尾維新の戯言シリーズでは感じない.
☆彡
5巻の感想のとき敢えて書かなかったけれども
あとがき2行目に,『どうでもよくない話』.
そこを変えるってことあるんですかいな.
たぶん,影響範囲は1巻目だけだろうと思うので
意識しながら『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
―幸せの背景は不幸』を再読してみた.
これは変えて正解じゃないかと思う.
魅力が薄れる気がする.いや,ツラさが増す,か?
初読直後に『語り方の一部にひっかかり』と
書いたのは,基本的には杜撰な読み方のせいで
217頁の最後の行を誤解してしまったので
218〜234頁の語り手変化を見落とししまって
だいぶ先で気づいて吃驚したからだった.
知っていて読めば引っかからない罠である.
言い訳すると,54〜55頁,114〜115頁,168頁と
長さが随分違うし,何か雰囲気も違う気がする.
この罠は『どうでもよくない話』のための改稿で
生じているんじゃないかな,という気がした.
◇各巻を読んだ直後の酔っ払った戯言
http://diarynote.jp/d/14742/20070617.html
http://diarynote.jp/d/14742/20070912.html
http://diarynote.jp/d/14742/20071214.html
http://diarynote.jp/d/14742/20080410.html
http://diarynote.jp/d/14742/20080509.html
◇嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』シリーズ随想
%4巻のレイニー切りに悪酔いしてならべた普陀落
http://diarynote.jp/d/14742/20080411.html
◇メモ (1巻再読時)
45頁『死路』ヨミは?
無門慧開 『無門関』 五・香嚴上樹に
『活卻從前死路頭、死卻從前活路頭。』 というところがあり
活路を カツロと読むことから考えればシロとなるのだろうか?
新居祐政 『死路を往く』 の国会図書館書誌情報も タイトルよみ シロ オ ユク
(2009年6月6日追記)
97頁『マユのそういった要素に、少なからず
魅力を覚えているからだ。彼女の精神は
喜怒哀楽の強弱高低が偏りすぎているけど
だからこそ常人には組み上げられない感性を
内包することが可能だ。』
98頁『マユの行動』→263頁末行
107頁・183頁『治療って〜』
194頁『警戒した』…後巻でのやられっぷりと矛盾?
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