5月20日の日記

2009年5月20日 読書
御影瑛路『神栖麗奈は此処に散る』電撃文庫

何か,ひっくり返すものが出るかいう期待は外れて
最後まで白々とした気分のままだった.
いや,情感を楽しむ読み物を求めてはいけないだけで
ドライなパズルを楽しむつもりなら,大いにアリだと思う.

叙述の仕方が『此処にいる』に較べてスッキリしていて
騙し絵という印象はない.伏線もいい感じで使われて
読み物として退屈しないで読ませる.
でも,少なくない登場人物が出ているというのに
魅力的なのが一人もいないというのも凄く珍しい.

◇メモ
P.206  私がなりたいものって、なんだろう?
     誰だってなりたいのもなんて分からないと言うけれど、たぶん違う。きっと
    みんなは、なりたいと思うものは浮かぶけれども、それを語るのが恥ずかしく、
    また実際に目指すには遠すぎ、あるいは、夢と言ってしまうほど思い入れが
    強くはないだけで、何かしらなりたいと思うものを持っているのだ。
     しかし、私にはまったくない。なりたいものがまったくない。本当に微塵もない。
    私は地平線さえない真っ白な空間の上にいて、そこには私の向かうべき目印は
    どこにもなく、ただ呆然と立ちすくんで訪れる予定もない何かが来るのを待ち、
    途方に暮れ、仕方なく目の前のものに対応するだけなのだ。
     そう、わたしには何をもこなせる扇子がありながら、何にもなれない。
     無力、無意味。無価値。無能。そう、私には何もない。
     なら、死んでしまおうか?
     死ぬ?何のために?
     分からない。だから私はたぶん、死なない。

P.255
 「あなたはその人にとって、必要な役割になるのでしょう?それが
     “人” だとしたら?あなたはその人の大事な誰かになる。でも、
    あなたは所詮ただの現象。その事実に気づいたその人は、絶望する。」
    「それだけで人は死ぬ?」
    「あなたを熱烈に求めるような人はね。それにね、あなたは “神栖麗奈” に
    なるのよ?この意味わかるかしら?」
    「……分からないわ」
    「名は体を表わす、という言葉は知っているでしょう?例えば、女性の美の
    イデアであるあなたには男の名前を付けられない。エアコン、眼鏡、
    便座カバーなんていった物の名前も付けられない。
     でも、あなたに “神栖麗奈” という名を付けることはできる。そして、
    その名を与えられただけで、あなたは人の形に定められてしまう。
     でも、それだけじゃない。 “神栖麗奈” の名前はそれだけの意味ではない。

P.256 あなたは本来曖昧な形をもたない現象。しかし、 “神栖麗奈” の名を
    与えることで、その曖昧さを失う。あなたは私に似た姿でしかなくなる。そして
    当然私の本質にも似ていることになる。そう――」
     私は、笑って、言い放つ。

    「―― “神栖麗奈” の名は、人を殺す」

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