杉井光『神様のメモ帳』電撃文庫
とても素敵な物語を堪能.表紙見開きの紹介には
『情けなくておかしくて、ほんの少し切ない』とあるが
もの凄く切ないものを孕んでいる.気持の振幅が
大きいときには揺さぶられ方が大きくなるかも.
255頁冒頭の台詞が出る背景なんてものを考えるから
著者の意図以上に暗い深淵をみている気もするけど.
2007年1月25日発行なので,平積みされた頃から
ちょっと読みかけたり,ネットの評をみていたけれど
どうも,自分の気持の側の問題で読み辛そうに思い
とうとう,2年半も経ってしまった.読んでみて
やはり,切なさが攻めてくるよという予感は正しくて
ようやく読めるようになったところで読んだ気もする.
◇メモ
P.75 エンジェル・フィックス …造語らしい.
P.76 A10神経系
P.113 彩夏が資料をのぞき込もうとしたので、とっさに僕はそれをヒロさんの
手から引ったくって裏返していた。
P.131 「……なんか、具合悪くて早退したって」
P.133 彼女がよやく学校に姿を見せたのは、新学期が始まって五日目の
金曜日だった。放課後すぐに屋上に行ってみると、そこに懐かしい
後ろ姿があった。左腕には黒い腕章。鉢植えに水をやっている。
振り向いた彩夏の顔を見た僕はぎょっとした。以前となにも
変わっていないはずなのに。一瞬だけどなんだか別人の顔に見えたから。
P.137 コンクリートブロックの境目にわずかに入り込んだ土にすがって、雑草は
びっしりと一面に生えていた。
P.142 開かれた瞼の下、青白い頬に、くっきりと赤黒い隈が浮いていた。
どこかの先住民族の戦化粧のように。
P.182 「もっとも、その写真にある花はそうそう珍しいものじゃない。あんな馬鹿げた
薬効は生まれないから、おそらく墓見坂が見つけたのはこれの突然変異種
だろうね。アルカロイドの含有率が近い麻薬植物の中から、研究室が
あたりをつけたんだ。労働報酬だが、先に渡しておくよ。さておき」
P.195 パパヴェル・ブラクテアトゥム・リンドル
…Papaver bracteatum Lindl ハカマオニゲシ
http://www.tokyo-eiken.go.jp/plant/keshi-miwakekata.html
http://www.pref.kyoto.jp/yamashiro/ho-kita/1228869494364.html
http://www.nature.com/nature/journal/v213/n5082/abs/2131244a0.html
テバインThebaine → ナルブフィンNalbuphine 想定?違うか→P.182
◆追記◆
ナルブフィンは麻薬拮抗剤としてが強いからここでは関係ないな.(てへっ)
テバインの興奮作用あたりから,適当に設定とでもしておく?
(2011年10月6日)
P.231
P.238 『おまえに説明しても無駄だ。おまえには無理だ、こっちには来られない。
見たときにわかった。でもできるやつはいる。まだ大勢いる。気づいてない
だけだ。おれはそいつらをフィックスする。一人でも多く連れていく』
P.255 「ナルミ。その薬を服用するということは、死ぬことと同義だ。
たとえ肉体的に無事だとしてもね。ぼくの言っていることがわかるかい?
いや、わからないだろうな。飲んでみるまではわからない。
どうしようもない二律背反だ」
P.255 「アリス……いいのか」
ヒロさんが僕をちらと見て、不安げな口調で食い下がる。
アリスはそれを一瞥で振り払った。
「他に道がないのなら、この道を進むしかないだろう。それが――」
そのときのアリスの顔は、ほんとうに、ほんとうに寂しげな、見ていると
心臓を直に細い糸で締め付けられるような、ふとしたはずみで砕けて
涙の粒になってしまいそうな、そんな表情だった。
P.260 『ナルミ、たぶんもうすぐ越境する瞬間がやってくる。楽しいことだけ考えろ、絶対だ』
P.260 『彩夏のことは思い出すな今はだめだ!』
P.268 答えはゼロだ。
僕らが生きていることに、意味なんてない。
生きること自体の意味なんてないんだけれど,ここでのような虚無感とは別.
でも,手駒の「意味がないと生きられないなんて,どこで習ったんだい?」に
反駁できる奴は滅多にいないと思うが,本質的な解決とは違うんだよなぁ.
『みーまー』がこのあたりに近いところで頑張れそうだと期待しているけれど…
いや,自分で上記手駒より良い手で何とかできると一番なんだけど.
P.270 「その鬱血はエンジェル・フィックス中のある成分に対する拒絶反応だ。
まれに身体に合わない者がいる。彩夏もきみもそうだった。それだけだ。
拒絶反応は幻覚効果が減衰した後にもたらされる激しい虚無感の
原因となる。わかるかい、きみの感じているそれはただのバッドトリップだ。
真実ではあるかもしれないが事実ではない」
だから。だからどうした?
アリスはつらそうに僕から目をそむける。
P.272 「逆に言えば、事実ではないが……真実なのだね。わかっている。
こんな説明にはなんの意味もないということはね。きみの手にした至福も、
絶望も、すべてが薬物による神経細胞中の化学反応だったとしても」
そうだよ。なんの意味もない。だって僕らの感情は、怒りは、哀しみは、
幸せは、虚しさは、みんな化学反応だろ?
だったら、これは――まぎれもない真実なんだ。
「麻薬はあらゆる精神作用を拡大する。どんな些細な後悔も。自分の
育てていた花が、犯罪に荷担していたという罪悪感も。それが故意ではない
ことなんて、薬の前にはなんの酌量にもならない。真実の前で事実は
ただ沈黙するしかない。だから」
僕を見つめる、一対の深い目。
「ぼくは、きみを引き留める言葉は持ち合わせていない」
僕はその薄桃色の小さな唇をじっと見つめ返す。
「きみがそちらへいってしまうのだとしたら、ぼくにはそれを
引き留める力はない。ただ」
アリスの手に握られているのは、三重に折り畳んだ便箋。僕がフィックスを
飲むと決心したあの日、アリスが僕に書かせた遺書だ。あのときは、
何故アリスがそんなものを書かせようとするかわからなかった。
ずいぶんいい加減な文章を並べたような気がする。
あれは、もう、今の僕じゃないのだ。
P.273 「ただ、きみの言葉は伝えよう。きみがたしかにここにいたことは、伝えよう。
きみは勇敢だったと。やるべきことをたしかにやり遂げたと。必ず」
P.289 「雑草だ。ナガミヒナゲシ。いい花だよ。俺と趣味が合った。でも地獄の方に
いっちまったんだよな。しかたない。たまに、天使が見えてもそれを死神だと
勘違いするやつがいるんだ。光の扉を通る資格のないやつ」
墓見坂のどろりとした目が、僕をねめつける。
「……おまえもそうだな。……やったんだろ?はは。俺の言った通りだ。
残念だったな。俺はちゃんと連れていってもらうよ」
P.290 「ぼくが見えるね? なにに見える?」
「……天使……」
「そうだ。ぼくは神様のメモ帳を見たことがある。そこに書かれた十四万四千人の
名簿も見たことがある。きみの名前はなかった」
「……うそだ」
「きみは王国には呼ばれていない。そのまま、名づけられてもいない、
P.291 なまあたたかい薄暗がりで悠久の時を過ごしたまえ。それがきみの得た永遠だ」
◇アリスと喰い物
P.32 「マスター、注文! アリスから。ネギラーメンの麺とチャーシューと卵抜きで」
P.59 「これ、アリスんとこに持ってって」
丼の中で湯気を立てているのは野菜がたっぷり載ったタンメンだった。今回は
P.60 少な目ながら麺も入っている。
「こないだおまえが持っていったら全部食べただろ。いつも残すんだよあいつ。
今日もよろしく。丼が空になってなかったら殴るよ」
「なんだこれは。ぼくはタンメンの麺と人参とキクラゲと挽肉抜きを注文したんだ」
アリスは丼の中身を目にして頬を膨らませた。
その日も探偵事務所はクーラーがきいていたけど、アリスはクマさん柄の
パジャマだけのかっこう。寒くないんだろうかこいつは。
「麺も肉も、なにもかも全部入っているじゃないか。納得のいく説明を
してくれたまえまえ」
「ミンさんは栄養が偏ってるって心配してたよ」
「ほう。偏っているということは参照するべき標準があるということだな。では
その比較対照となる栄養標準とやらを根拠も含めて聞かせてくれたまえ。
言っておくが十年以上ドクターペッパーで暮らしてきたこのぼくに多数派の
原理なんて安っぽいものを持ち出したら二度と口が利けなくなるくらい
こてんぱんに論破してあげるからそのつもりで」
僕は嘆息した。探偵だかなんだか知らないけど、ほんとに口の減らない娘だ。
P.61 言い負かすのは無理だとわかっているので、ミンさんから授かった切り札を
早々に出すことにした。
「全部食べないとアイスなしだって」
アリスの顔が凍りついた。唇がわななく。
「……き、汚いぞ。刑法二二二条による脅迫罪だ。あるいは独占禁止法
第十九条で禁じられた抱き合わせ販売」
涙目になりながらも、アリスは両手をぱたぱた上下させて次から次へと
いかがわしい法律知識を並べ立てる。面白いのでしばらく黙って見ていた。
P.177 (柚子生姜シャーベットを食べる描写)
P.214 ちょっとだけ麺の入った醤油ラーメンも、文句を言わずに食べている。
とても素敵な物語を堪能.表紙見開きの紹介には
『情けなくておかしくて、ほんの少し切ない』とあるが
もの凄く切ないものを孕んでいる.気持の振幅が
大きいときには揺さぶられ方が大きくなるかも.
255頁冒頭の台詞が出る背景なんてものを考えるから
著者の意図以上に暗い深淵をみている気もするけど.
2007年1月25日発行なので,平積みされた頃から
ちょっと読みかけたり,ネットの評をみていたけれど
どうも,自分の気持の側の問題で読み辛そうに思い
とうとう,2年半も経ってしまった.読んでみて
やはり,切なさが攻めてくるよという予感は正しくて
ようやく読めるようになったところで読んだ気もする.
◇メモ
P.75 エンジェル・フィックス …造語らしい.
P.76 A10神経系
P.113 彩夏が資料をのぞき込もうとしたので、とっさに僕はそれをヒロさんの
手から引ったくって裏返していた。
P.131 「……なんか、具合悪くて早退したって」
P.133 彼女がよやく学校に姿を見せたのは、新学期が始まって五日目の
金曜日だった。放課後すぐに屋上に行ってみると、そこに懐かしい
後ろ姿があった。左腕には黒い腕章。鉢植えに水をやっている。
振り向いた彩夏の顔を見た僕はぎょっとした。以前となにも
変わっていないはずなのに。一瞬だけどなんだか別人の顔に見えたから。
P.137 コンクリートブロックの境目にわずかに入り込んだ土にすがって、雑草は
びっしりと一面に生えていた。
P.142 開かれた瞼の下、青白い頬に、くっきりと赤黒い隈が浮いていた。
どこかの先住民族の戦化粧のように。
P.182 「もっとも、その写真にある花はそうそう珍しいものじゃない。あんな馬鹿げた
薬効は生まれないから、おそらく墓見坂が見つけたのはこれの突然変異種
だろうね。アルカロイドの含有率が近い麻薬植物の中から、研究室が
あたりをつけたんだ。労働報酬だが、先に渡しておくよ。さておき」
P.195 パパヴェル・ブラクテアトゥム・リンドル
…Papaver bracteatum Lindl ハカマオニゲシ
http://www.tokyo-eiken.go.jp/plant/keshi-miwakekata.html
http://www.pref.kyoto.jp/yamashiro/ho-kita/1228869494364.html
http://www.nature.com/nature/journal/v213/n5082/abs/2131244a0.html
テバインThebaine → ナルブフィンNalbuphine 想定?違うか→P.182
◆追記◆
ナルブフィンは麻薬拮抗剤としてが強いからここでは関係ないな.(てへっ)
テバインの興奮作用あたりから,適当に設定とでもしておく?
(2011年10月6日)
P.231
P.238 『おまえに説明しても無駄だ。おまえには無理だ、こっちには来られない。
見たときにわかった。でもできるやつはいる。まだ大勢いる。気づいてない
だけだ。おれはそいつらをフィックスする。一人でも多く連れていく』
P.255 「ナルミ。その薬を服用するということは、死ぬことと同義だ。
たとえ肉体的に無事だとしてもね。ぼくの言っていることがわかるかい?
いや、わからないだろうな。飲んでみるまではわからない。
どうしようもない二律背反だ」
P.255 「アリス……いいのか」
ヒロさんが僕をちらと見て、不安げな口調で食い下がる。
アリスはそれを一瞥で振り払った。
「他に道がないのなら、この道を進むしかないだろう。それが――」
そのときのアリスの顔は、ほんとうに、ほんとうに寂しげな、見ていると
心臓を直に細い糸で締め付けられるような、ふとしたはずみで砕けて
涙の粒になってしまいそうな、そんな表情だった。
P.260 『ナルミ、たぶんもうすぐ越境する瞬間がやってくる。楽しいことだけ考えろ、絶対だ』
P.260 『彩夏のことは思い出すな今はだめだ!』
P.268 答えはゼロだ。
僕らが生きていることに、意味なんてない。
生きること自体の意味なんてないんだけれど,ここでのような虚無感とは別.
でも,手駒の「意味がないと生きられないなんて,どこで習ったんだい?」に
反駁できる奴は滅多にいないと思うが,本質的な解決とは違うんだよなぁ.
『みーまー』がこのあたりに近いところで頑張れそうだと期待しているけれど…
いや,自分で上記手駒より良い手で何とかできると一番なんだけど.
P.270 「その鬱血はエンジェル・フィックス中のある成分に対する拒絶反応だ。
まれに身体に合わない者がいる。彩夏もきみもそうだった。それだけだ。
拒絶反応は幻覚効果が減衰した後にもたらされる激しい虚無感の
原因となる。わかるかい、きみの感じているそれはただのバッドトリップだ。
真実ではあるかもしれないが事実ではない」
だから。だからどうした?
アリスはつらそうに僕から目をそむける。
P.272 「逆に言えば、事実ではないが……真実なのだね。わかっている。
こんな説明にはなんの意味もないということはね。きみの手にした至福も、
絶望も、すべてが薬物による神経細胞中の化学反応だったとしても」
そうだよ。なんの意味もない。だって僕らの感情は、怒りは、哀しみは、
幸せは、虚しさは、みんな化学反応だろ?
だったら、これは――まぎれもない真実なんだ。
「麻薬はあらゆる精神作用を拡大する。どんな些細な後悔も。自分の
育てていた花が、犯罪に荷担していたという罪悪感も。それが故意ではない
ことなんて、薬の前にはなんの酌量にもならない。真実の前で事実は
ただ沈黙するしかない。だから」
僕を見つめる、一対の深い目。
「ぼくは、きみを引き留める言葉は持ち合わせていない」
僕はその薄桃色の小さな唇をじっと見つめ返す。
「きみがそちらへいってしまうのだとしたら、ぼくにはそれを
引き留める力はない。ただ」
アリスの手に握られているのは、三重に折り畳んだ便箋。僕がフィックスを
飲むと決心したあの日、アリスが僕に書かせた遺書だ。あのときは、
何故アリスがそんなものを書かせようとするかわからなかった。
ずいぶんいい加減な文章を並べたような気がする。
あれは、もう、今の僕じゃないのだ。
P.273 「ただ、きみの言葉は伝えよう。きみがたしかにここにいたことは、伝えよう。
きみは勇敢だったと。やるべきことをたしかにやり遂げたと。必ず」
P.289 「雑草だ。ナガミヒナゲシ。いい花だよ。俺と趣味が合った。でも地獄の方に
いっちまったんだよな。しかたない。たまに、天使が見えてもそれを死神だと
勘違いするやつがいるんだ。光の扉を通る資格のないやつ」
墓見坂のどろりとした目が、僕をねめつける。
「……おまえもそうだな。……やったんだろ?はは。俺の言った通りだ。
残念だったな。俺はちゃんと連れていってもらうよ」
P.290 「ぼくが見えるね? なにに見える?」
「……天使……」
「そうだ。ぼくは神様のメモ帳を見たことがある。そこに書かれた十四万四千人の
名簿も見たことがある。きみの名前はなかった」
「……うそだ」
「きみは王国には呼ばれていない。そのまま、名づけられてもいない、
P.291 なまあたたかい薄暗がりで悠久の時を過ごしたまえ。それがきみの得た永遠だ」
◇アリスと喰い物
P.32 「マスター、注文! アリスから。ネギラーメンの麺とチャーシューと卵抜きで」
P.59 「これ、アリスんとこに持ってって」
丼の中で湯気を立てているのは野菜がたっぷり載ったタンメンだった。今回は
P.60 少な目ながら麺も入っている。
「こないだおまえが持っていったら全部食べただろ。いつも残すんだよあいつ。
今日もよろしく。丼が空になってなかったら殴るよ」
「なんだこれは。ぼくはタンメンの麺と人参とキクラゲと挽肉抜きを注文したんだ」
アリスは丼の中身を目にして頬を膨らませた。
その日も探偵事務所はクーラーがきいていたけど、アリスはクマさん柄の
パジャマだけのかっこう。寒くないんだろうかこいつは。
「麺も肉も、なにもかも全部入っているじゃないか。納得のいく説明を
してくれたまえまえ」
「ミンさんは栄養が偏ってるって心配してたよ」
「ほう。偏っているということは参照するべき標準があるということだな。では
その比較対照となる栄養標準とやらを根拠も含めて聞かせてくれたまえ。
言っておくが十年以上ドクターペッパーで暮らしてきたこのぼくに多数派の
原理なんて安っぽいものを持ち出したら二度と口が利けなくなるくらい
こてんぱんに論破してあげるからそのつもりで」
僕は嘆息した。探偵だかなんだか知らないけど、ほんとに口の減らない娘だ。
P.61 言い負かすのは無理だとわかっているので、ミンさんから授かった切り札を
早々に出すことにした。
「全部食べないとアイスなしだって」
アリスの顔が凍りついた。唇がわななく。
「……き、汚いぞ。刑法二二二条による脅迫罪だ。あるいは独占禁止法
第十九条で禁じられた抱き合わせ販売」
涙目になりながらも、アリスは両手をぱたぱた上下させて次から次へと
いかがわしい法律知識を並べ立てる。面白いのでしばらく黙って見ていた。
P.177 (柚子生姜シャーベットを食べる描写)
P.214 ちょっとだけ麺の入った醤油ラーメンも、文句を言わずに食べている。
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