佐伯邦夫 『剱岳をどう登るか』 北国出版社 1976
他図書館蔵書を地元図書館経由で読んだが,なかなか面白い本だった.
『登山届出条例を難ず』という条例制定後二冬目に書かれた文章にある
| 届出条例は剱岳全域をその対象としているがこのうちの池ノ谷と東大谷
| (早月尾根と小窓尾根の尾根筋だけを除いた剱岳西面全域)が事実上の
| 登山禁止地域になっている。条文では、これらの地域は計画の変更を
| 勧告するということになっている。が、実際は変更するまで執拗に勧告される
| (千葉稜渓山岳会の例がそうである)ので禁止と変わらないわけである。
| 冬山において無条件に危険な場所と、安全な場所があると考えているらしい
| 謬見はわらうべきであるし、東大谷や、池ノ谷に対する誤解や偏見については
| 言うべきことも多い。だが、それにもましてそもそも禁止すれば
| 事故がなくなるだろうという、やけくそな考え方自体が残念である。
| 池ノ谷を禁ずれば池ノ谷での事故はなくなるであろうし、山へ登る者が
| なくなれば、山の遭難はなくなろう。しかし、これは車による交通事故対策として
| 自動車の使用を禁止しようとしているのに似ている。問題をその程度にしか
| 考えていないのである。浅はかというほかはない。
| 池ノ谷や東大谷が遭難発生の特殊地域では決してない。現に条例で池ノ谷や
| 東大谷へ登山者を入れなくしたら剱岳における遭難がへったかというと、否である。
| 件数も犠牲者数も条例前と少しも変わらないのだ。同じように遭難が発生するのは
| 谷川岳や剱岳ばかりでは決してない。であれば条例制定の意図は奈辺にあるか
| 自ずと明らかであろう。人命尊重などを第一にかかげてはみたものの、つまりは
| 登山者を他県へ追い出し、遭難とのかかわりあいを持ちたくないというのが
| 本音であることは間違いない。
| そもそも、条例に登山者を保護しようという考えが少しでもあったらそれが
| 間違いだったのだ。地元が余計な出費を強いられて困ったり、登山者の遭難で
| 混乱させられたりして困ったら、すなおにそう言って、そういう条例をつくれば
| よいのだ。たとえば、地元にあたえていた出費は登山者が払えとか、迷惑を
| 受けるのはゴメンだから、救助には出向かないとか。それで十分なのだ。
今でも,そのまま言えることではなかろうか…….
◇メモ
P.106 立山川について国土地理院の五万分の一図も、二万五千分の一図も
はっきりと登山道を記している。しかし、昭和四十四年八月にここら一帯が
未曾有の集中豪雨に見舞われた。いわゆる四四豪雨である。このとき
立山川沿いの登山道はいたるところで崩壊、寸断されたまま、いまだに
復旧をみない。以来全く手が入れられず、崩壊をまぬがれた部分も
年を追って荒廃を募らせている。今はかつての道を熟知していた者のみ
わずかに残っている部分をつづり合わせてたどられる程度である。
富山県の公園緑地課にはこの道の修復の予定はなく、廃止の方針を
とっているときく。立山川の道は、明治、大正の頃は立山地獄谷の
硫黄搬出のための産業道路であったし、その昔は、越中男児が
立山登拝するための表参道であった。
P.156 途中で何の草かわからぬが、フト西瓜を割った時の香りを感じた。
(毛勝谷 東大谷下降途中の高捲き )
他図書館蔵書を地元図書館経由で読んだが,なかなか面白い本だった.
『登山届出条例を難ず』という条例制定後二冬目に書かれた文章にある
| 届出条例は剱岳全域をその対象としているがこのうちの池ノ谷と東大谷
| (早月尾根と小窓尾根の尾根筋だけを除いた剱岳西面全域)が事実上の
| 登山禁止地域になっている。条文では、これらの地域は計画の変更を
| 勧告するということになっている。が、実際は変更するまで執拗に勧告される
| (千葉稜渓山岳会の例がそうである)ので禁止と変わらないわけである。
| 冬山において無条件に危険な場所と、安全な場所があると考えているらしい
| 謬見はわらうべきであるし、東大谷や、池ノ谷に対する誤解や偏見については
| 言うべきことも多い。だが、それにもましてそもそも禁止すれば
| 事故がなくなるだろうという、やけくそな考え方自体が残念である。
| 池ノ谷を禁ずれば池ノ谷での事故はなくなるであろうし、山へ登る者が
| なくなれば、山の遭難はなくなろう。しかし、これは車による交通事故対策として
| 自動車の使用を禁止しようとしているのに似ている。問題をその程度にしか
| 考えていないのである。浅はかというほかはない。
| 池ノ谷や東大谷が遭難発生の特殊地域では決してない。現に条例で池ノ谷や
| 東大谷へ登山者を入れなくしたら剱岳における遭難がへったかというと、否である。
| 件数も犠牲者数も条例前と少しも変わらないのだ。同じように遭難が発生するのは
| 谷川岳や剱岳ばかりでは決してない。であれば条例制定の意図は奈辺にあるか
| 自ずと明らかであろう。人命尊重などを第一にかかげてはみたものの、つまりは
| 登山者を他県へ追い出し、遭難とのかかわりあいを持ちたくないというのが
| 本音であることは間違いない。
| そもそも、条例に登山者を保護しようという考えが少しでもあったらそれが
| 間違いだったのだ。地元が余計な出費を強いられて困ったり、登山者の遭難で
| 混乱させられたりして困ったら、すなおにそう言って、そういう条例をつくれば
| よいのだ。たとえば、地元にあたえていた出費は登山者が払えとか、迷惑を
| 受けるのはゴメンだから、救助には出向かないとか。それで十分なのだ。
今でも,そのまま言えることではなかろうか…….
◇メモ
P.106 立山川について国土地理院の五万分の一図も、二万五千分の一図も
はっきりと登山道を記している。しかし、昭和四十四年八月にここら一帯が
未曾有の集中豪雨に見舞われた。いわゆる四四豪雨である。このとき
立山川沿いの登山道はいたるところで崩壊、寸断されたまま、いまだに
復旧をみない。以来全く手が入れられず、崩壊をまぬがれた部分も
年を追って荒廃を募らせている。今はかつての道を熟知していた者のみ
わずかに残っている部分をつづり合わせてたどられる程度である。
富山県の公園緑地課にはこの道の修復の予定はなく、廃止の方針を
とっているときく。立山川の道は、明治、大正の頃は立山地獄谷の
硫黄搬出のための産業道路であったし、その昔は、越中男児が
立山登拝するための表参道であった。
P.156 途中で何の草かわからぬが、フト西瓜を割った時の香りを感じた。
(毛勝谷 東大谷下降途中の高捲き )
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