森田季節『魔女の絶対道徳2』ファミ通文庫
とても面白かった.そして,地味に重みも.
一巻は会話を楽しむライトノベルの印象が
強かったけれども,二巻では和風要素の扱いが
ずっと濃厚というか,著者が趣味に走ってる感じで
とても興味深く楽しい.輪月のエロは健在だけど
ちょい難しい話も平気で並べられている.
そして,核の部分が凄くてぶっ飛んだ.
物語の中で『道徳』の変転する様子も面白い.
あとがきの『「話の中では、こういう設定になってたけど、
本当の厄神や漢神はこうなんだ」といろいろ
教えてもらえたりすると本当にうれしいです。』って素敵過ぎ.
◇メモ
P.16 「知理は頑張れなんて言わないからね。そんなこと言ったら、お兄ちゃんの
負担になるし、それにお兄ちゃんが頑張ったくらいで世の中たいして
変わらないから。個人の努力程度で激変する世の中とかかえって怖いよね」
「前から思ってたけど、お前の発言はリアリスティックすぎて、聞いている
うちにつらくなる」
P.19 知理とのデートなら、きっと健全なコースになるはずだ。輪月みたいに
十八禁発言を連発して、バーリトゥード展開になることもあるまい。
… vale tudo そのままの意味,か.
P.22 今度は知理をなしためにいきやがった。
…たしなめ,のtypoだろうな.
P.35 「兄さんは伏見宮貞成親王の『看聞日記』は知ってる?」
「いや、せいぜい史料名を聞いたことがあるぐらいで……。
室町時代の一級史料だよな」
「彼は伏見宮の長子でもなかったから、本来は宮家を継ぐことすら
考えられてなかったの。だから、成人儀礼であるはずの元服も四十歳に
なってからという有様だった。けれど、父親が死んで、跡を継いで間もない
兄が息子も残さず急死、急遽宮家を継ぐの。さらには、後小松上皇の血統が
途絶えそうということで、自分の息子が天皇に即位することにまでなった」
輪月も知理もそうだが、俺のまわりの女は歴史全般にやたらと詳しい。
「この人はもしかしたら、ほぼまったく歴史の表舞台に出てこなかったかも
しれない。でも、ちょっとした運命のいたずらで、劇的に立場を変えて、
太上天皇と呼ばれるまでになったの。人生なんて本当に何が起こるか
わからないんだから、油断できない。数時間後、突然兄さんが異形に
襲われて死ぬ可能性だってある」
「嫌な可能性だな」
「けど、まさに貞成親王の兄は、わずかの時間のうちに危篤状態に
なったかと思うと、そのまま看病むなしく死んでしまったの。つい少し前まで
人と歓談してたのに。急死以外の何ものでもなかった。わたしたちが
想像できることである以上、起こりえないとは断言できない」
そうだな、妹のためにも俺はしっかりしないといけないのだ。
「だから、できるだけ早く後継者を――子供を作ってね」
「ぶっ!」
思わず噴いてしまった。
なんだ、このどことなく輪月的な発言は……。
「天狗との間に生まれた子でも、羅刹との間に生まれた子でも、
修羅との間に生まれた子でも何でもいい。とにかく、早めに後継者を作って。
それが久多良のためにもなるし、わたしのためにもなる。結婚なんて
今時三十前後でいいやとか絶対に言わないで」
「いや、でも……愛がないんだよ、愛が……」
「愛とかそんなあいまいなものは二の次でいい。向こうの合意がとれた
時点でいい。いくらなんでも無理矢理なんてことは許されないけど、
納得してもらってるのなら、産んでもらって!私生児だろうとなんだろうと、
水主家で責任持って育てるから!」
未莱、割と目がマジだった。
妹に子供を産めと強く言われる兄(高校生)って全国にどれぐらいいるんだろう。
たぶん、極めて少ないよな。もしかすると、俺だけかもしれない。
P.43 こいつは火明卜哉――俺と同じ咒師だ。
P.64 「わたくしは、竜津愛良、今から半年ほど前にこちらの世界に来たばかりの
厄神です。ええと、ちなみに漢字は――」
P.77 「ほう。疫病をばらまく系統ですか……。ぶっちぎりで最悪なのは牛頭天王系
なんですけど、九割方、神として丁重に祀られているので、出てくることは
ないと思うんですよね……。廃仏毀釈の時に各地の牛頭天王社がスサノオに
祭神を替えられた時はひどい目に遭ったようですが」
P.78 「牛頭天王は国学の連中から見れば仏教の神格に見えたんだろ。由緒ある
仏典には出てこないけどな。仏教と陰陽道の間で生まれたオリジナル神とでも
考えれば、だいたい正解なのか」
P.90 日本って神様が一定の場所に落ち着くと、悪さはしないんだよな。
P.94 『極めて危険な存在があなた方のほうに接近している』
「極めて危険な存在?」
『忌まわしい異形だ。実態はわからないが、こちらでは風邪が突如流行した。
厄神はそうでなかったのかもしれないが、こちらは確実に疫病を運ぶ
遊行神だ。類例が極めて少ないので、わかりづらいのだが、おそらく
――カラカミ』
「からかみ?」
異形の名前としては聞き覚えがない。
『漢字の「漢」に神様で漢神だ』
…カラカミというと韓神ってのがあるが.
P.129 俺だけじゃない。輪月も知理も、牡丹だって、境界的なところで生きている。
P.130 線の上にいる存在は原理上、どこの領域にも存在しない。
P.131 「も、もう一度言いますが、わ、わたくしは牡丹さんに恋愛感情を持っている
わけではありません……」
うん、聞いたよ。大丈夫だよ。
「な、なので、証拠を示します……」
どうやってだよ。
「水主頼斗さん、付き合いましょう。女と男として」
「は?」
また、爆弾発言が飛び出したような……。
しかも、斜め後ろぐらいからやってきた感じ。
頭の処理が追いつく前に、愛良ちゃんは立ち上がって、俺の両手を握った。
P.132 「付き合いましょう、そうしましょう!そういえば、わたくし、水主頼斗さん
みたいな、ええと…………ちょっと理屈っぽい男性がタイプなんでした!
そうです、タイプです!」
P.138 「あの子です! 難波粉魂っていうストーカーです!」
P.147 「消えたくなんてない!」
P.164 「あるいは、中世において実類とされ、忌避された蛇や竜の神がそのまま
祀られなくなり、異形となったケースかもしれませんが」
P.164 「神仏習合の進んだ中世ではな、神様を仏が姿を変えて神になったもの
――いわゆる権現と、そいうう仏が背後にいない系統の蛇や竜や人間の
悪霊とに分けたんだ。前者が権者、後者が実者と言う」
P.207 「そうですね、まずは狐に乗った仏様のお経ですね」
「……え?」
「その仏様は、右側に像の仏様の顔があって、左側には女性の仏様
――たしか弁才天様の顔があって……」
おいおい、荼枳尼天関係の修法で、かつ聖天と弁天が混ざっているって
……相当ヤバくないか……。バリバリ現世利益求める組み合わせだな……。
内容次第だと一歩間違うとカルトだぞ……。
P.214 真言立川流
P.215 「ほっとけ。ただ、弾圧が厳しくて、教義に関するものもほぼすべて焼かれて
残ってない。そしたら、どうしてわかるんだって話だけど、邪宗弾圧のために
書かれた書物に内容が載ってるわけだ。もちろん、弾圧側が書いてるから、
気持ち悪く感じるように悪意持ってやってるんだろうけどな。皮肉なことに
批判のために書いた文章から、かろうじて教義がわかるってわけだ」
P.216 そこには仏像の絵が描いてあったが、ほとんど見覚えのないものだった。
憤怒形の顔を持った二つの首が一つの体から出ている。
「何だ、これ……?表情からして、如来や菩薩ではなくて、
明王か天なんだろうけど」
「かなりマニアックだから、名前は出てこないかもしれません。おや深卜さん、
ご存じのようですね」
たしかに深卜の表情は何もわからないというものではなかった。
むしろ、知っているものを見たときの驚きに近かった。
「それは両頭愛染……」
「大正解です。すごいですよ。ほんとに咒師はこういうものに素養が
ありますね。あれ、こんな名前の人がここにいませんでしたか」
全員が愛良ちゃんを見た。
――竜津愛良。
「え……わたくし、仏様なんですか……?」
「両頭愛染じゃ名前としてかわいくないですからね。お寺の人が女の子っぽく
したんでしょう。どうやら、この仏は、立川流でよく使われていたことが
資料からわかります。愛染明王は名前から愛欲肯定の仏として解釈される
ようになって、信仰されていました。ですから、その要素が入っている仏を
使うのは理にかなっていますよね。首が二つあるというのも、まさに一つに
交わっているのを示しているみたいじゃないですか」
P.217 「この仏像は異説もありますが、不動明王と愛染明王が合体したものと
言われています。愛良ちゃんが武器として使っていたのは、どうやら
不動明王の倶利伽羅剣のようですね」
P.218 不動明王は片方の手に倶利伽羅剣というまっすぐな剣を持った姿で
造られる。竜がからまっているケースもあるが、そういえば竜津という
苗字はその竜からとったのだろうか。
「愛良ちゃんは弓矢も持っていたそうですけど、それは愛染明王側の
武器ですよね。愛染明王は恋愛成就というよりは本来戦争用の
神格なんですから、これも自然です。恋のキューピッドじゃないですよ」
P.219 「ここから先は資料的裏づけは薄くて寺伝に頼ることになるんですが、
この愛染と不動が合体したものを祀っているお寺がまさにありましてね」
「だから、両頭愛染なんだろう?」
「ところが、名前が違うんですよ。兵庫県西宮市にある、一般的に
門戸厄神と呼ばれているお寺なんですが、お名前ぐらいは
聞いたことありますかね、頼斗君?」
「詳しくは知らないけど、そこも厄神の名前で呼ばれてるんだな」
「この門戸厄神、寺の縁起によりますと――空海が愛染と不動を一体として
彫ったものを祀っていて、それを厄神明王というのだそうです。つまり、
両頭愛染は厄神明王と呼ばれて信仰されていたというわけですね。
仏像が秘仏で見れないのが残念ですが」
「そしたら、愛良ちゃんが厄神と呼ばれていたのは、厄神明王の
意味でってことか……」
P.220 「余談ですが、この厄神明王、確認した限りだと、摂津国にあるお寺でしか
信仰されているのがわからないんですけど、これもある種の地域的信仰
なんですかね。ついでに言いますと、疫神信仰と厄神信仰が混淆したと
思われる多井畑厄除八幡宮がまさに摂津の西端ですよ。厄神と厄神明王の
間には、どうも何か関連があるように見えてならないですが、これは今後の
宿題としておきましょう」
P.230 「いや、殺意は直前まではあったんだよ。本当に直前まで。だから、粉魂は
消えたくないと叫んだんだ。でも、消そうとしたところで、お前はためらった。
それでいいんだ。それが正常なんだよ」
悪いけど、もう容赦できないんだ。
「だって、自分の生みの親を殺したい子供なんていないだろ?」
P.248 人間、そう簡単に他人を殺したりなんてできない。深卜だって自分が
殺されるために無理をしていただけだった。
殺されることはできても、殺すことはできないよ。まともな人間ならな。
とても面白かった.そして,地味に重みも.
一巻は会話を楽しむライトノベルの印象が
強かったけれども,二巻では和風要素の扱いが
ずっと濃厚というか,著者が趣味に走ってる感じで
とても興味深く楽しい.輪月のエロは健在だけど
ちょい難しい話も平気で並べられている.
そして,核の部分が凄くてぶっ飛んだ.
物語の中で『道徳』の変転する様子も面白い.
あとがきの『「話の中では、こういう設定になってたけど、
本当の厄神や漢神はこうなんだ」といろいろ
教えてもらえたりすると本当にうれしいです。』って素敵過ぎ.
◇メモ
P.16 「知理は頑張れなんて言わないからね。そんなこと言ったら、お兄ちゃんの
負担になるし、それにお兄ちゃんが頑張ったくらいで世の中たいして
変わらないから。個人の努力程度で激変する世の中とかかえって怖いよね」
「前から思ってたけど、お前の発言はリアリスティックすぎて、聞いている
うちにつらくなる」
P.19 知理とのデートなら、きっと健全なコースになるはずだ。輪月みたいに
十八禁発言を連発して、バーリトゥード展開になることもあるまい。
… vale tudo そのままの意味,か.
P.22 今度は知理をなしためにいきやがった。
…たしなめ,のtypoだろうな.
P.35 「兄さんは伏見宮貞成親王の『看聞日記』は知ってる?」
「いや、せいぜい史料名を聞いたことがあるぐらいで……。
室町時代の一級史料だよな」
「彼は伏見宮の長子でもなかったから、本来は宮家を継ぐことすら
考えられてなかったの。だから、成人儀礼であるはずの元服も四十歳に
なってからという有様だった。けれど、父親が死んで、跡を継いで間もない
兄が息子も残さず急死、急遽宮家を継ぐの。さらには、後小松上皇の血統が
途絶えそうということで、自分の息子が天皇に即位することにまでなった」
輪月も知理もそうだが、俺のまわりの女は歴史全般にやたらと詳しい。
「この人はもしかしたら、ほぼまったく歴史の表舞台に出てこなかったかも
しれない。でも、ちょっとした運命のいたずらで、劇的に立場を変えて、
太上天皇と呼ばれるまでになったの。人生なんて本当に何が起こるか
わからないんだから、油断できない。数時間後、突然兄さんが異形に
襲われて死ぬ可能性だってある」
「嫌な可能性だな」
「けど、まさに貞成親王の兄は、わずかの時間のうちに危篤状態に
なったかと思うと、そのまま看病むなしく死んでしまったの。つい少し前まで
人と歓談してたのに。急死以外の何ものでもなかった。わたしたちが
想像できることである以上、起こりえないとは断言できない」
そうだな、妹のためにも俺はしっかりしないといけないのだ。
「だから、できるだけ早く後継者を――子供を作ってね」
「ぶっ!」
思わず噴いてしまった。
なんだ、このどことなく輪月的な発言は……。
「天狗との間に生まれた子でも、羅刹との間に生まれた子でも、
修羅との間に生まれた子でも何でもいい。とにかく、早めに後継者を作って。
それが久多良のためにもなるし、わたしのためにもなる。結婚なんて
今時三十前後でいいやとか絶対に言わないで」
「いや、でも……愛がないんだよ、愛が……」
「愛とかそんなあいまいなものは二の次でいい。向こうの合意がとれた
時点でいい。いくらなんでも無理矢理なんてことは許されないけど、
納得してもらってるのなら、産んでもらって!私生児だろうとなんだろうと、
水主家で責任持って育てるから!」
未莱、割と目がマジだった。
妹に子供を産めと強く言われる兄(高校生)って全国にどれぐらいいるんだろう。
たぶん、極めて少ないよな。もしかすると、俺だけかもしれない。
P.43 こいつは火明卜哉――俺と同じ咒師だ。
P.64 「わたくしは、竜津愛良、今から半年ほど前にこちらの世界に来たばかりの
厄神です。ええと、ちなみに漢字は――」
P.77 「ほう。疫病をばらまく系統ですか……。ぶっちぎりで最悪なのは牛頭天王系
なんですけど、九割方、神として丁重に祀られているので、出てくることは
ないと思うんですよね……。廃仏毀釈の時に各地の牛頭天王社がスサノオに
祭神を替えられた時はひどい目に遭ったようですが」
P.78 「牛頭天王は国学の連中から見れば仏教の神格に見えたんだろ。由緒ある
仏典には出てこないけどな。仏教と陰陽道の間で生まれたオリジナル神とでも
考えれば、だいたい正解なのか」
P.90 日本って神様が一定の場所に落ち着くと、悪さはしないんだよな。
P.94 『極めて危険な存在があなた方のほうに接近している』
「極めて危険な存在?」
『忌まわしい異形だ。実態はわからないが、こちらでは風邪が突如流行した。
厄神はそうでなかったのかもしれないが、こちらは確実に疫病を運ぶ
遊行神だ。類例が極めて少ないので、わかりづらいのだが、おそらく
――カラカミ』
「からかみ?」
異形の名前としては聞き覚えがない。
『漢字の「漢」に神様で漢神だ』
…カラカミというと韓神ってのがあるが.
P.129 俺だけじゃない。輪月も知理も、牡丹だって、境界的なところで生きている。
P.130 線の上にいる存在は原理上、どこの領域にも存在しない。
P.131 「も、もう一度言いますが、わ、わたくしは牡丹さんに恋愛感情を持っている
わけではありません……」
うん、聞いたよ。大丈夫だよ。
「な、なので、証拠を示します……」
どうやってだよ。
「水主頼斗さん、付き合いましょう。女と男として」
「は?」
また、爆弾発言が飛び出したような……。
しかも、斜め後ろぐらいからやってきた感じ。
頭の処理が追いつく前に、愛良ちゃんは立ち上がって、俺の両手を握った。
P.132 「付き合いましょう、そうしましょう!そういえば、わたくし、水主頼斗さん
みたいな、ええと…………ちょっと理屈っぽい男性がタイプなんでした!
そうです、タイプです!」
P.138 「あの子です! 難波粉魂っていうストーカーです!」
P.147 「消えたくなんてない!」
P.164 「あるいは、中世において実類とされ、忌避された蛇や竜の神がそのまま
祀られなくなり、異形となったケースかもしれませんが」
P.164 「神仏習合の進んだ中世ではな、神様を仏が姿を変えて神になったもの
――いわゆる権現と、そいうう仏が背後にいない系統の蛇や竜や人間の
悪霊とに分けたんだ。前者が権者、後者が実者と言う」
P.207 「そうですね、まずは狐に乗った仏様のお経ですね」
「……え?」
「その仏様は、右側に像の仏様の顔があって、左側には女性の仏様
――たしか弁才天様の顔があって……」
おいおい、荼枳尼天関係の修法で、かつ聖天と弁天が混ざっているって
……相当ヤバくないか……。バリバリ現世利益求める組み合わせだな……。
内容次第だと一歩間違うとカルトだぞ……。
P.214 真言立川流
P.215 「ほっとけ。ただ、弾圧が厳しくて、教義に関するものもほぼすべて焼かれて
残ってない。そしたら、どうしてわかるんだって話だけど、邪宗弾圧のために
書かれた書物に内容が載ってるわけだ。もちろん、弾圧側が書いてるから、
気持ち悪く感じるように悪意持ってやってるんだろうけどな。皮肉なことに
批判のために書いた文章から、かろうじて教義がわかるってわけだ」
P.216 そこには仏像の絵が描いてあったが、ほとんど見覚えのないものだった。
憤怒形の顔を持った二つの首が一つの体から出ている。
「何だ、これ……?表情からして、如来や菩薩ではなくて、
明王か天なんだろうけど」
「かなりマニアックだから、名前は出てこないかもしれません。おや深卜さん、
ご存じのようですね」
たしかに深卜の表情は何もわからないというものではなかった。
むしろ、知っているものを見たときの驚きに近かった。
「それは両頭愛染……」
「大正解です。すごいですよ。ほんとに咒師はこういうものに素養が
ありますね。あれ、こんな名前の人がここにいませんでしたか」
全員が愛良ちゃんを見た。
――竜津愛良。
「え……わたくし、仏様なんですか……?」
「両頭愛染じゃ名前としてかわいくないですからね。お寺の人が女の子っぽく
したんでしょう。どうやら、この仏は、立川流でよく使われていたことが
資料からわかります。愛染明王は名前から愛欲肯定の仏として解釈される
ようになって、信仰されていました。ですから、その要素が入っている仏を
使うのは理にかなっていますよね。首が二つあるというのも、まさに一つに
交わっているのを示しているみたいじゃないですか」
P.217 「この仏像は異説もありますが、不動明王と愛染明王が合体したものと
言われています。愛良ちゃんが武器として使っていたのは、どうやら
不動明王の倶利伽羅剣のようですね」
P.218 不動明王は片方の手に倶利伽羅剣というまっすぐな剣を持った姿で
造られる。竜がからまっているケースもあるが、そういえば竜津という
苗字はその竜からとったのだろうか。
「愛良ちゃんは弓矢も持っていたそうですけど、それは愛染明王側の
武器ですよね。愛染明王は恋愛成就というよりは本来戦争用の
神格なんですから、これも自然です。恋のキューピッドじゃないですよ」
P.219 「ここから先は資料的裏づけは薄くて寺伝に頼ることになるんですが、
この愛染と不動が合体したものを祀っているお寺がまさにありましてね」
「だから、両頭愛染なんだろう?」
「ところが、名前が違うんですよ。兵庫県西宮市にある、一般的に
門戸厄神と呼ばれているお寺なんですが、お名前ぐらいは
聞いたことありますかね、頼斗君?」
「詳しくは知らないけど、そこも厄神の名前で呼ばれてるんだな」
「この門戸厄神、寺の縁起によりますと――空海が愛染と不動を一体として
彫ったものを祀っていて、それを厄神明王というのだそうです。つまり、
両頭愛染は厄神明王と呼ばれて信仰されていたというわけですね。
仏像が秘仏で見れないのが残念ですが」
「そしたら、愛良ちゃんが厄神と呼ばれていたのは、厄神明王の
意味でってことか……」
P.220 「余談ですが、この厄神明王、確認した限りだと、摂津国にあるお寺でしか
信仰されているのがわからないんですけど、これもある種の地域的信仰
なんですかね。ついでに言いますと、疫神信仰と厄神信仰が混淆したと
思われる多井畑厄除八幡宮がまさに摂津の西端ですよ。厄神と厄神明王の
間には、どうも何か関連があるように見えてならないですが、これは今後の
宿題としておきましょう」
P.230 「いや、殺意は直前まではあったんだよ。本当に直前まで。だから、粉魂は
消えたくないと叫んだんだ。でも、消そうとしたところで、お前はためらった。
それでいいんだ。それが正常なんだよ」
悪いけど、もう容赦できないんだ。
「だって、自分の生みの親を殺したい子供なんていないだろ?」
P.248 人間、そう簡単に他人を殺したりなんてできない。深卜だって自分が
殺されるために無理をしていただけだった。
殺されることはできても、殺すことはできないよ。まともな人間ならな。
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