高桑信一『山小屋からの贈りもの―飯豊連峰 門内小屋』つり人社
地元の人と親しくなる取材の秀逸な筆者なので
興味深く読んだが,これまでになく本音丸出し?
というか偽悪趣味にみえるかもしれないくらい.
道の刈り払いで切られてしまった花は喰う方が
花のためという感傷を覚えた.
わたしも,門内小屋は素通りしてしまった.
%川入~三国小屋~御西小屋~頼母木小屋~飯豊山荘(2002年夏)
◇メモ
P.68
P.79
P.122 小屋の前から眺めるヒメサユリとキスゲの混生が美しい。少しずつ
ヒメサユリが衰えていき、やがてキスゲにとって代わるのだろう。
どうせ一日で萎んでいくのなら、食べてもいいのではないかと思う。
三杯酢にすれば、キスゲはとても美味しいのだ。国立公園だから、
それは規則に触れるのだが、なにも馬のように食おうというのではない。
四つ五つの萎れたキスゲを控えめに摘んで食べるぶんには、見逃して
もらっていいのではにかと私は思う。もちろん、一事が万事だから
大きな声ではいえない。
私は仲間たちが奥利根の丹後山の避難小屋に泊まった日のことを
思い出した。見わたすかぎり咲いた小屋の前のニッコウキスゲを、
高山植物だから手を出してはまずいという話になり、泣く泣く諦めた
食料担当者が、翌朝起きてみたら、昨夜の風で、あれほどあった
キスゲの花が、すべて風で吹き飛んでいたというのだ。
細貝栄の手前もあって、遠慮したに違いないのだとしても、これは
理不尽というべきものだ。どうも日本人は勧善懲悪の傾向が強すぎる
ように思う。といって私がキスゲを食べたわけではない。あくまで
話としてのことである。しかし、ほんとうに食糧が尽きれば、私は
問答無用でキスゲの花をむしり、ヒメサユリの根を掘り返して
食べるはずである。
地元の人と親しくなる取材の秀逸な筆者なので
興味深く読んだが,これまでになく本音丸出し?
というか偽悪趣味にみえるかもしれないくらい.
道の刈り払いで切られてしまった花は喰う方が
花のためという感傷を覚えた.
わたしも,門内小屋は素通りしてしまった.
%川入~三国小屋~御西小屋~頼母木小屋~飯豊山荘(2002年夏)
◇メモ
P.68
P.79
P.122 小屋の前から眺めるヒメサユリとキスゲの混生が美しい。少しずつ
ヒメサユリが衰えていき、やがてキスゲにとって代わるのだろう。
どうせ一日で萎んでいくのなら、食べてもいいのではないかと思う。
三杯酢にすれば、キスゲはとても美味しいのだ。国立公園だから、
それは規則に触れるのだが、なにも馬のように食おうというのではない。
四つ五つの萎れたキスゲを控えめに摘んで食べるぶんには、見逃して
もらっていいのではにかと私は思う。もちろん、一事が万事だから
大きな声ではいえない。
私は仲間たちが奥利根の丹後山の避難小屋に泊まった日のことを
思い出した。見わたすかぎり咲いた小屋の前のニッコウキスゲを、
高山植物だから手を出してはまずいという話になり、泣く泣く諦めた
食料担当者が、翌朝起きてみたら、昨夜の風で、あれほどあった
キスゲの花が、すべて風で吹き飛んでいたというのだ。
細貝栄の手前もあって、遠慮したに違いないのだとしても、これは
理不尽というべきものだ。どうも日本人は勧善懲悪の傾向が強すぎる
ように思う。といって私がキスゲを食べたわけではない。あくまで
話としてのことである。しかし、ほんとうに食糧が尽きれば、私は
問答無用でキスゲの花をむしり、ヒメサユリの根を掘り返して
食べるはずである。
コメント