明月記に記述された超新星(かに星雲M1)
明月記に記述された超新星(かに星雲M1)
よく話題にされるけれども,原典を確認したいとき
どこに出てるかを書いている人は少なくて…….
斉藤国治さんの記述を読んで国書刊行会本で確認.

国立国会図書館デジタル資料 明月記. 第3
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991255/129
(明治44年9月 國書刊行會)1911-1912

明月記 第三 昭和45年7月5日第1刷発行 国書刊行会 も同内容.

上記urlで表示される頁の
左側上段,寛喜二年十一月八日の記述の後に
L.-4 『客星出現例~』のところ,伝聞が記されている.

下段L.3の
『後冷泉院天喜に年四月中旬以降丑時、客星出觜參度、
 見東方、孛天關星、大如歳星』が該当箇所.
%四月ではなくて五月と読みかえる.

%天關星=おうし座ζ星(ゼータ星)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%97%E5%BA%A7%E3%81%AE%E6%81%92%E6%98%9F%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

これを射場保昭さんが "Popular Astronomy" に投稿して
明月記が有名になったり,天変地異はないものとして
記録が残っていないキリスト教圏という話がでたりした.
斉藤国治さんの本によるとアラビアでも記録が残ってた由.

斉藤国治さんの記述によると
| 昭和5年(1930)のころから、当時東京天文台の神田茂技師は
| 「皇紀二六〇〇年(1940)記念事業」の一環として、日本に残る
| 天文史料を総括的に収集することを開始していた。それはやがて
| 昭和10年(1935)になって『日本天文史料』という労作にまとめられた。
| 射場氏は神田氏がまだ編纂途中にあった原稿を見せてもらい、
| 神田氏の許可をうけた上で、その中のごく一部分を英文にまとめて
| アメリカの雑誌に投稿した次第である。

天文マニアで,漢文もすらすらとは凄過ぎると思っていたが
こういう背景があったのかと納得.

◇参考文献◇
斉藤国治
定家『明月記』の天文記録-古天文学による解釈-
慶友社 1999 ISBN:4-87449-029-8

◇追記
 明月記にある,客星の記述8つの内で超新星は3つで
 定家が観たのではなく過去の文献からの引用のみ.

 %『螢』の字は正しくは虫でなく火.

○ 1006年5月1日
一條院寛弘三年四月二日、癸酉、夜以降騎官中有大客星、如螢惑、
光明動耀、連夜正見南方、或云、騎陣将軍變本體増光歟、

| 「騎官」と「騎陣将軍星」とは中国の星名である。すなわち、
| 「騎官」とはケンタウロス座のη、κなどと、
| おおいぬ座のα、βなどを服務星宿のこと。
| 「騎陣将軍星」とは騎官のすぐ南側にある独立星で
| おおかみ座のκ1、κ2星のこと。

○ 1054年5月20日~29日[6月19日~28日] この日記の記事
後冷泉院天喜二年四[五]月中旬以降丑時、客星出觜参度、見東方、孛天關星、
大如歳星、

○ 1181年8月7日
高倉院治承五年六月廿五日、庚午、戌時、客星見北方,近王良星守傳舎星、

%カシオペア座のあたりらしい.


※関連日記
定家『明月記』の天文記録―古天文学による解釈
http://felis.diarynote.jp/201207120105156210

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